椎山中世墓









椎山中世墓
- タイトル
- 椎山中世墓
- タイトル(よみ)
- しいやまちゅうせいぼ
- 解説
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平成12年3月10日 鈴鹿市指定有形文化財
昭和52(1977)年に加佐登調整池の建設にともなって発掘調査しました。台地の南斜面に4段の平坦部を削り出し、5基の五輪塔がある台地上面を加えた、のべ5段の平坦面に多数のお墓が残されていました。
一番下の平坦面にて鎌倉時代の13世紀半ばから造墓が開始され、順次上段へ場所を移しながら14世紀前半までの間に30基ほど作られます。当初は川原石を用いて方形の区画をつくり、その内部に蔵骨器をおさめる形が基本となっていますが、徐々に石組みや蔵骨器をもつものは少なくなっていくようです。14世紀以降は細々としながらも16世紀までの約300年間にわたって継続的に造墓される三重県を代表する中世墓といえます。
なお、江戸時代の文書には、この椎山の周辺に慈悲山正法寺が幕末まであったことが記録されています。その慈悲山は鎌倉時代に大江広元の荘園だったとされていますが、椎山中世墓はこの記録にみえる正法寺の墓地であった可能性が指摘されています。
出土した遺物のうち残りの良い蔵骨器70点と石仏2点が鈴鹿市の指定文化財に登録されています。
- 遺跡所在地
- 鈴鹿市加佐登町
関連情報
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