稲生殿城

ページ番号1009495  更新日 2024年1月23日

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写真:稲生殿城1
絵図に描かれた稲生殿城
写真:稲生殿城2
稲生殿城推定地から稲生殿城跡を望む
タイトル
稲生殿城
タイトル(よみ)
いのうどのしろ
解説
室町時代に描かれた『勢州稲生村三社絵図』には,伊奈冨神社境内の南東に「稲生殿城」として,水田中の島状の高まりに門と建物そして「品」の字形に配置された3基の方形の郭が描かれています。城主は当地の地頭を勤めていた和田氏で伊奈冨神社の棟札にもその名が残ります。
かつては堀のあとが残っていたと伝えられますが,明治43年に行われた伊奈冨耕地整理の再に埋め立てられ水田となってしまい,正確な位置は不明となっています。耕地整理前の明治26年の陸地測量部作成の2万正式図(地形図)「白子町」には水田中に島状の高まりが描かれています。
遺跡所在地
鈴鹿市稲生西二丁目・稲生町字城屋敷

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