北野古墳

ページ番号1017869  更新日 2026年10月1日

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写真:北野古墳 調査前風景
調査前風景(南から)
写真:北野古墳 調査風景
調査風景(南から)
写真:北野古墳 掘削風景
玄室の掘削風景(南から)
写真:北野古墳 玄室完掘
玄室完掘(南から)
写真:北野古墳 墓道
墓道(北から)
写真:北野古墳 無文銭出土状況
無文銀銭出土状況(撮影方向不明)
写真:北野古墳 墓道中央出土須恵器
墓道中央出土須恵器(北から)
写真:北野古墳 墓道南側出土須恵器
墓道南側出土須恵器(撮影方向不明)
写真:北野古墳 墓道北側出土須恵器
墓道北側出土須恵器(北から)
タイトル

北野古墳

タイトル(よみ)
きたのこふん
解説

加佐登調整池の建設に伴って、昭和51~52(1976~1977)年に発掘調査しました。舌状の台地の中央部やや南端に立地し、白鳥塚古墳から南西へ300mのところにあります。発掘調査前には東西、南北とも約15m、高さ2mの高まりが残っていて、中央に東西6m、南北4.5m、深さ1.5mの盗掘坑があいていました。

発掘調査の結果、一辺が18mの方墳で、南に開口する横穴式石室を持つことが確認されました。石室は著しく崩壊していましたが、片袖(かたそで)式の石室になると想定されています。玄室(げんしつ)には、直径5~10cmの円礫が、長さ3.2m、幅1.8mにわたって敷き詰められていました。この周辺からは人骨の細片や飛鳥時代の須恵器、土師器が出土しています。また、石室入口からは、南へ50.5mほど一直線にのびる羨道(せんどう)があり、須恵器が2個1対となって供えられていました。

 このほか、玄室からは無文銀銭が出土しています。無文銀銭は和同開珎よりも前に作られた通貨であり、出土例はほぼ畿内に限られています。このことから、北野古墳の被葬者は中央との結びつきが強く、出土遺物の年代から壬申の乱(672年)の際の功績者ではないかとも考えられています。
遺跡所在地
鈴鹿市加佐登町字北野

北野古墳の出土遺物

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